top of page

出会いと版画と…

23  Aug. 2013 (ニッシャ印刷文化振興財団 Art Meets Technologyに掲載)

 

2月に京都で開催された「京都版画トリエンナーレ」。

多くの種類の版画が出品され、私も有り難い事に推薦して頂き、展示しました。

ニッシャ印刷文化振興財団の方々にもご縁を頂き、

コラムのお話を頂きましたので、なにを書こうか迷いましたが、

自分の今回の制作に至るお話などしたいと思います。

御覧になられた方々も大勢いらした事かと思いますが、

私の手法は自分で書くのも恥ずかしいですが、かなりの「正統派」だと思います。

非常に細かく時間も手間もかかる銅版画。

(加えて書けば、石油系溶剤使用の為ちょっと臭いです。)

詳しい作り方・手順は、ここでは省略しますが、アイディア出し、下描き…

そして銅版の腐蝕、試し刷り、手直し加筆、本刷りという過程を踏み、

作品となっていきます。

今回の作品はそれとともに先ず、推薦者の方との打ち合わせに始まりました。

話を重ねていくうちに、なんとはなしには作品のカタチが朧げながら

ぼんやりと浮かびましたが、まだまだ漠然とした内容。

プレッシャーを感じつつも、なんとか答えたいという想いで悶々とするばかり…。

そのような中、定期購読している雑誌の中での言葉の出会いから始まりました。

 

    As for man,  his days are I like grass,  

    he flourishes like a flower of the field  

    草のように黙し 花のように 

    1回限りのいのちを 咲かせる 私たち             

                   <旧約聖書 詩編>

という文章が目に飛び込んできました。

私はカトリックではありませんが、なんていい言葉だろうと感じ、

どうにかしてこれを表現したい、具体的にではないにしても

画面の底に流れるようにしたいと思いました。1回限りの「いのち」。

枯れゆくものから再生、過去現在未……、言葉が繋がっていきました。

それらの言葉から、内と外が直接的でないとしても繋がりを持ち光と陰の対比、

黒と白の中にちょっとした色を手彩色で差していこうと思い立ち、

先ず硝子の作品「紡ぐ季節」を考え出しました。

硝子の中の植物達は枯れてはいますが、形が織りなす様々な美しさや絡まり具合。

いろいろな葉や実を探し出しては、組み合わせて描いていき、

それらを銅版に埋め込む気持ちで腐蝕を繰り返します。

 

もう一枚の対の作品「木洩れ日」は、オランダに友人の写真が

ヒントになりました。実がなるスズカケは東京などにもありますが、

昔旅行でいったパリで拾ってきたスズカケの実が手元にあり、

いつか描きたいと思っていたのです。

こちらのほうは「光」と「生」を意識した作品となり、

硝子の作品は「再生」、「過去」と「未来」をイメージしました。

 

制作の最中には、プライベートなことですが母の骨折入院やら

いろいろとあり、多くを考えながらの日々でした。

途中描きながら癇癪を珍しく起こし、

筆を投げながらも拾ってくれる誰かがいるわけでもなく、

また自分で拾い、再び大きく深呼吸しながらの制作。

仕事場とはいえ、水場の設備は版画制作用ではなく、

普通の台所なので慎重に悪戦苦闘しつつやっています。

そのうえ、2点の版画はいつものサイズより大きかった為、非常に扱いにくく、

時間がいつも以上にかかるありさまでした。

 

あまり恵まれた制作環境ではありませんが、

それでも大学院を修了以来20数年続けているのは、

ひと言で言えば、好きだという事。当たり前の言葉かもしれませんが、

「辛酸甘苦」の通り多くの事があり、

いつも版画を制作する事で助けられてきたように思えます。

制作し、作品として発表出来るという幸せ。

それは企画して下さる画廊の方々、コレクターの方々がいらしてこそなのです。

もちろん、辛口コメントも頂きますが、それも成長の糧。

今回と同じように、出会いもたくさん戴きます。

自分で思う「いい作品」にはまだまだほど遠く、

だからこそ「これからだ」と思えます。​​​​​​​​​​

二つの出会い

Mar. 2003 人事院月報に掲載)

 

 6ヶ月近くに渡り、この人事院の表紙を飾らせていただき感謝するとともに、

最後にエッセイをとお話を頂き、現在非常に困りつつ書かせて頂いている。

 お恥ずかしい限りではあるが、私の「二つの出会い」をお話したいと思う。

 

(1)ものとの出会い

 銅版画に進んだのも、本当に偶然でしかなかった。

実は、私が目指していたものは、「グラフィックデザイナー」であり、

「アーティスト」と呼ばれる分野ではなかった。

たまたま版画実習の選択授業があり、しかもやってみたかった版種の定員が一杯。

銅版画しか空いてなかった。

 真面目な学生だったといえば、そうでもなく、とにかくやることだけやり

早く帰ろうといつも思っていた。

実習期間に嬉しかった事といえば、最後にちょっと褒められたことだけ。

そして、大学を変り、また改めて1年生になり、2年生になって
「手間のかかる版画」実習があった。

このとき、「私はちょっと版画を知っている」風に授業を受けていて

実習終了後、「今までやっていたなら、続けて見たら。」の一言で、

単純な私は現在に至ってしまっている。細かい作業も性に合っていたのだろう。

卒業制作・修了制作も銅版画で発表した。デザイン科のくせに、有り難い話である。

 

 話は少々戻るが、大学院一年の時に初めてイタリア・フランス旅行を経験した。

その後数回ヨーロッパ旅行を経験しているが、そのときの旅が非常に印象深く残っている。

 季節は夏。ヨーロッパはご存知のように、日本の夏とは違い、

暑いけれど乾燥していて過ごしやすい。
夏のあの青空の色は、表現しようが無く、青く美しい。
雲とのコントラストは東京では見ることが出来ないくらい爽やかである。

 イタリアの田舎はどこも素朴で、見るもの全部が珍しく、
見るべき古い絵画がいくつもあり、歴史に圧倒された。その中で、「ファエンツア」という陶器の町に立ち寄ったときに、今の私を決定づける出会いがあった。

ミシュランで調べたその町の陶器博物館は、特徴ある形の陶器が陳列されていて、

日本の陶器ではほとんど見ることの無い形に心惹かれた。

その形というのは、先端が細く尖っていたり、ぽってりとした形の下部に突起口があり
(多分そこからワイン等を注いだのだろう。)

しかも、紋章のような文様が描かれていたりとユニークなものだった。

それらの陶器が旅行中の写真に残り、その後の修了制作のモチーフとなった。

今でもそれらの作品を見ると、その時の気持ちが蘇る。

その他にも様々な尖塔に出合い、陶器と共に現在に至る作品群となっている。

 

(2) ひととの出会い

 苦労の末、版画家となり、色々な場所で展覧会をやらせて頂いている。

会場に居ると、様々な方々との出会いがある。

通りすがりに入ってきた方、コレクターの方、同業種の方々、

他画廊の方など多種多様である。私も初めての方とお話するのは苦手なほうではあるが、
やはり話し掛けて頂けば一生懸命に無い頭を駆使してお話をする。

お話を伺うと、その方の人となりをほんの少し垣間見て、興味深い。

その方々がどのように、作品を見て感じていらっしゃるのかが解り、

私が考えてもいないような事を伺うと勉強になる。

まあ、時には右から左という時もありますが…。

このような発表の場を頂けなければ、弁護士・遺伝子研究者・詩人・大学教授・

写真家・コンピューター関係等々の方々とは、お話をする機会など無かった。

本当に有り難いことである。

 その様な中で、時には、私自身が「いつの日かお会いしたい」と切望する方がいらした。実際に会場に現れたときは、ドギマギして隠れてしまいたい衝動に駆られたが、
意を決して話かけたときがあった。
その方は、版画業界では大御所でいらっしゃるが、

お話しているととても温かな先生で、多くをご指南していただいた。

その後は、お会いすることは少ないが、お手紙等を頂戴し励ましの言葉が

直接書かれているわけではないが、一字一句に読むごとに励まして頂いている気がする。

 出会いというのは巡りあうことであり、そこから枝葉を張り、

いろいろな方向に向かっていくこともある。

もちろん、良いことばかりではないだろう。

「どんな時も、人生には、意味がある。」と言った心理学者の言葉が私は好きである。
何時の時でも、ものや人との出会いは、すぐには役には立たなかったり、

通り過ぎるだけだったりすることも多い。

しかし、ひょんな時にその「出会い」が頭をもたげてくる事がある。

「意味」が気づかせてくれているのだろう。

版画家と言えるようになり、苦しいことも嬉しいこともある13年近くがようやく経った。あっという間でもあったが、今は様々な「出会い」の中で、

「ようやく」と言う言葉を使わせて頂きたい。13年なんて、本当に短いものである。

これからが本番となるのだろう。そして、新たに「もの」や「ひと」と出会い、

多くの意味を悟れるように余裕を持って制作していきたいと思っている。

 

 この誌面で、このような場に出合せて頂いた事にあらためて感謝したい。 

 

bottom of page